インドネシア建国の歴史を紹介~日本敗戦後、インドネシア独立のために大勢の日本兵が戦った話~(2018.8 子連れインドネシア旅 ♯3)

【写真】インドネシア国旗を模した旗が国中の道路に飾ってありました。2018年8月、ジョグジャカルタ近郊、ソロ(スラカルタ)で撮影。

2018.8 子連れインドネシア旅 ♯2:行った先を写真で紹介」の続きです。

【インドネシア旅:準備編その1】

インドネシア旅行記に入る前に、インドネシア建国の歴史について紹介したいと思います。インドネシアを訪れるなら、ぜひこの史実を知っておいていただきたいからです(^^♪。

インドネシアの国旗

まず、インドネシアの国旗を紹介します。日本人にはあまり馴染みがありませんよね。

ジャ~~ン。

インドネシア国旗

赤と白がシンプルできれいです(^^♪。

この配色、どこかの国と一緒ですね。

そう、日本国旗の日の丸と一緒なんです(^^)/。縁起がいいですね。これだけで、ぐっと親近感がわいてしまいます。

私たちが旅した2018年8月上旬、インドネシアの国中の道路に、この国旗を模した紅白の旗(上の写真参照)が飾られていました。

ジャカルタはもちろん、バンドン、ジョグジャカルタ、そしてタクシーを走らせて訪れた郊外の田舎道に至るまで、家の建っている道路には全てと言っていいくらい、びっしりと紅白の旗がはためいていました。

インドネシアは8月17日が独立記念日なので、8月に入ると、国中の道路で旗の掲揚が行われるのだそうです。日本とは違い、独立に対する強い思いが感じられますね。

インドネシアの建国の歴史

インドネシアは親日国として知られていますが、建国の歴史を見るとその理由がわかります。

インドネシア建国には、日本および日本人が大きな役割を果たしているのです。

インドネシアの建国は、1945年8月です。ん、1945年?とお気づきのアナタは鋭いです。そう、1945年は昭和20年。昭和20年8月は、広島と長崎に原爆が投下され、日本がポツダム宣言を受諾して降伏した月です。日本の敗戦と同時に、インドネシアという国は初めて産声を上げたのです。

昭和20年というと、結構最近ですよね。東南アジアの国々は、こんな感じで、日本の敗戦後、次々と誕生していきました(タイ王国だけは列強の植民地にならず、ずっと独立を保っていました)。

それでは、インドネシアの人は、日本軍と戦っていて、日本が戦争に負けたから独立できたんでしょうか。

・・・違います。

その逆です。インドネシアは、太平洋戦争前までは、オランダ領でした(オランダ領東インド)。

インドネシアの人は、日本軍がオランダ軍を破ってこの地を占領した1942年から1945年までの間に日本軍から軍事訓練を受け、敗戦により解体された日本軍の残した武器を使って、再度侵略に来たオランダ軍との4年間にわたる独立戦争を戦い抜いて、それに勝って、オランダからの独立を勝ち取ったのです。

このとき、903人の日本兵(2,000人以上だったという説もある)が、故郷の日本に帰ることよりインドネシア建国のために独立戦争をともに戦うことを決意し、降伏した日本軍を離脱してインドネシア独立軍に参加してインドネシア人と一緒に戦っています。

彼らは日本では戦死扱いにするしかなかったため(日本は連合国に降伏しているため、日本人としてインドネシア独立軍に参加することはできなかった)、日本国籍を捨てての参加です。

インドネシア独立のために日本軍を離脱して戦った日本兵たち

インドネシア独立軍に参戦した900~2,000人以上の日本軍兵士のうち、1945年~1949年のインドネシア独立戦争で何と半数以上が戦死しました。戦闘に不慣れなインドネシア人を鼓舞し、常に先頭でオランダ軍と戦ったからだと言われています。

生き残った数百人は、新しくできたインドネシアという国の人となって、ほとんどが日本に帰ることなくインドネシアで生涯を終えました。

そのエピソードは、「ムルデカ 17805(TSUTAYAのサイトへのリンク)」という映画にもなっています(日本の映画です。面白いですよ)。

ついでに紹介すると、このインドネシア独立戦争の時、オランダ軍は、捕虜にした日本軍を日本に帰さず、オランダ側の「治安維持部隊」としてインドネシア独立軍と戦わせ、多数の「戦死者」を出しています(一説には1,000人以上とも)。もう、日本と連合国との戦争は終わっているのに、です。

1945年8月15日の日本の降伏をもって太平洋戦争と第2次世界大戦は終結したはずですが、戦争終結後も、ロシアによる千島列島と北方領土への侵攻、日本軍捕虜のシベリア抑留、そして直後に開始されたインドネシア独立戦争と、実際には各地で戦争は終わっていなかったんですね。

戦争に負けた国の捕虜を国に帰さず、インドネシア独立軍と戦闘させたり(オランダ)、強制労働させたり(ソ連によるシベリア抑留)する・・・。ひどい国際法違反です。東京大空襲や日本の全ての主要都市に及んだ無差別空襲と2発の原爆投下による民間人大量虐殺(アメリカ)も、ひどい国際法違反であることは言うまでもありません(日本やアメリカの学校ではそう教えていませんが)。

まぁ、当時は人種差別のあった時代で、西洋人は、黄色人種や黒人を同じ人間とは見ていませんでしたので、法的には人種みな平等でも、白人世界では心情的・感覚的には黄色人種と黒人は国際法の適用外という暗黙の了解があったのかもしれません。

そんな苦難の時代真っ只中のインドネシアで、300年以上に及んだ欧米列強によるアジア植民地支配に日本降伏後も命をかけて対抗し、インドネシアという新しい国の誕生に尽力した日本軍兵士の皆さんがいたことを、日本人の子孫としてとても誇りに思っています(^_-)-☆。

インドネシア初代大統領は、スカルノです。タレントとして活躍している「デヴィ夫人」の旦那さんになった人です(^^♪。

スカルノは、オランダ領時代は独立運動をした犯罪者として投獄されていましたが、日本軍が来て釈放し、日本の後ろ盾のもと初代大統領として独立宣言する1945年8月19日を控えた8月15日に日本が連合国に降伏してしまったので急いで8月17日に独立を宣言、日本の敗戦後はインドネシア独立軍を指揮してオランダ軍と戦い、インドネシア独立を実現させました。のちに日本を訪れた時にデヴィ夫人を見初め、第3夫人に迎えています。

インドネシアのバンドンでは、1955年、反植民地主義運動に大きな影響を与えたとされる「第1回アジア・アフリカ会議」が開催されました。議長はインドネシア大統領のスカルノです。当時、まだまだアフリカを中心に行われていた欧米列強による植民地支配に団結して対抗しようと、建国わずか10年(独立戦争を勝利してからわずか6年)のインドネシアががんばっていたんですね。嬉しいじゃないですか。

行ってきましたよ、バンドンの「アジア・アフリカ会議博物館」。入場無料です。インドネシア政府が、入場無料にしてるんですね。

アジア・アフリカ会議博物館。当時のまま残された会議場には、参加国の旗が立てられています。日本の国旗もありました。

ちなみに、「ジャカルタ」という名称は、太平洋戦争中の1942年、300年以上前にこの地にあった王国の首都の名前を日本が復活させたものです。300年以上前にオランダが「ジャカルタ」を「バタビア」に改名したんですが、日本が300年ぶりに元に戻したんですよ(^^)/。

痛快です(^_-)-☆。ジャカルタ万歳!

そのジャカルタに行くなんて、私が何かしたわけではありませんが(^^;、日本人として、楽しみではあ~りませんか。

インドネシア建国の年表

できごとを年表にするとこんな感じです。

1602年 オランダがジャワ島に進出。オランダによる植民地支配が始まる。当時、現在のインドネシアのエリアには、いくつかの王国があり、それぞれに国を治めていました。

1619年 西ジャワのパジャジャラン王国の首都ジャカルタの支配権を手に入れたオランダが、ジャカルタを「バタビア」と改名。

~その後、オランダが現在のインドネシアの領域にあった国々を次々と侵略、植民地を広げる~

~1,900年頃、現在のインドネシアの領域のほぼ全てをオランダが植民地化する~

~オランダは、現地人に教育を施さない「愚民政策」をとった(他の欧米列強も同じですが)~

~300年以上、オランダによる植民地支配が続いた~

注:当時、インドネシア人にとって、オランダ人は神のような存在だったことでしょう。

1942年 第2次世界大戦に参戦した日本がオランダ領東インド(現在のインドネシアの領域)に侵攻。オランダ軍を破り、瞬く間にインドネシア全域を占領する。日本が「バタビア」を「ジャカルタ」に、323年ぶりに改名。

~以降、1945年8月まで日本による占領統治~

~日本軍による、インドネシア人青年への軍事訓練・指導~

~当初、日本は産油地域であるインドネシアを日本領土に編入する方針だったが、戦況の悪化によりインドネシア独立へ方針を転換。1945年3月に独立準備委員会を発足、1945年8月19日に独立宣言する準備をしていた~

1945年8月15日 日本がポツダム宣言を受諾し連合国に降伏。

1945年8月17日 インドネシア独立宣言。スカルノを初代大統領に指名。

1945年9月 オランダはインドネシア独立を無効とし、イギリス軍とともにインドネシアに侵攻。インドネシア独立戦争勃発。

1949年  オランダが戦局不利につき方針転換。同年12月27日、国連のあっせんでハーグ協定締結。オランダがインドネシア独立を認める。

※執筆にあたり、ウィキペディア「インドネシア」のページを参照しました。

親日国インドネシア

こんな感じで、インドネシアの建国の歴史を見れば、インドネシアが親日国である理由がわかっていただけたかと思います。

今では多くの日本企業が進出し、経済面でインドネシアの発展を支えています。

もちろん、一方的に支えているわけではありませんよ。日本企業も恩恵を享受して、インドネシアで共に栄えるために、活動しているわけです。

どうです? こんな歴史を知ると、あなたもインドネシアを旅してみたいと思いませんか?

日本が再命名した、「ジャカルタ」に、行ってみたいと思いませんか?

インドネシアの人は、日本人に良くしてくれますよ~~(個人的感想)。

私、インドネシアの子連れ観光大使とかに立候補しようかしら(^^;。

あ、一応言っておきますと、私、第1次世界大戦~第2次世界大戦時の欧米列強国も大好きです(^^♪ イギリス、オランダ、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、アメリカ、ロシア・・・。このあたり、み~~んな大好きですから(^^♪ 絶対旅行に行きたいと思っている国々ばかりです。

次回、インドネシア旅行の準備で思わずぶち当たってしまった障害について紹介します。

インドネシアで鉄道旅行を検討されている方は必見です。